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★2012年4月9日〜10日 山口県周南市「大津島」回天の基地跡、回天記念館、ETC

  新幹線で徳山駅到着。徳山港→ボートで「大津島→笹土島の「笹戸島ハイツ」で宿泊
  10日笹戸島→光の室積の史跡を観光→伊藤博文の生家、記念館→徳山駅→新幹線で名古屋
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★2011年9月12日〜16日 ネパール旅行、カトマンズ、パタン、ルンビニ

  関西空港12日0時15分発→タイ、バンコク(スワンナプーム空港)→カトマンズ(トリブバン空港)
  カトマンズ→タイ→中部国際空港17日8時30分着
  現地滞在9月12日12:30頃到着  2月16日1:50カトマンズ出発 四泊五日 機内二泊
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★2011年5月9日〜10日 山口県「周防大島観光」〜徳山市

  5月9日 名古屋駅午前6時34分発ののぞみで→広島→新岩国(こだま) 
        新岩国駅で義理の妹夫婦の車で岩国錦帯橋→大畠→周防大橋→周防大島の観光
  5月10日 周防大島→大畠→柳井→光→徳山市
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★2011年2月14日〜18日 ネパールのカトマンズ、パタン、パンチカール村、サク村

  関西空港14日0時15分発→タイ、バンコク(スワンナプーム空港)→カトマンズ(トリブバン空港)
  カトマンズ→タイ→中部国際空港19日7時30分着
  現地滞在2月14日12:30頃到着  2月18日1:50カトマンズ出発 四泊五日 機内二泊
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★2010年11月15日から18日私は初めての中国旅行に両親と友達の陳君と一緒に行きました。
 中部国際空港→上海→哈爾浜(黒竜江省)→上海→海口村(福建省)→上海→中具国際

 父親が兵隊で黒竜江省の牡丹江に一年間、哈爾浜に一年間居ました。
65年ぶりに哈爾浜の旧キタイスカヤという目貫通りと松花江と言う河を見に行く旅でした。
キタイスカヤは現在「中央大街」と言われヨーロッパ風建築は75棟、各種保護建築築は36棟ある。1.45qの煉瓦路、並木、街路灯が続き中央大会は「建築博物館」と言われています。
北朝鮮料理、ロシア料理などヨーロッパの文化も漂い中国とは思えない雰囲気でした。
日本人観光客は少ないようで全く見ませんでした。建物はレストラン、デパート、写真館、映画館、郵便局など文化財の建物は殆ど店舗などに利用されていました。
中国のパリと言われていると聞きましたが、大げさにと思っていました。
しかし、行って見て歩いてビックリでした。マイナス10度で凍てついた道路を歩きました。
今でもハルビン一番のショッピングストリートで午後8時頃でもたくさんの若い女性が歩いていました。翌日午前中も歩きましたが前日の夜よりたくさんの人が歩いていました。
旧満州国のハルビンは日本の若者が訪れても楽しめる素晴らしい街と思いました。
発展が続く中国の観光客は間違いなく増えて国内観光ブームが花盛りとなるでしょうね。
北海道は小さいぞと感じました。ハルビンの町に隣接する「松花江」は500mはあります。私たちが訪れたときは、すでに全面氷結していました。
湖、川、湿原、自然林もあり、ラフティング、スキー場、ゴルフ場、コテージ、歴史のあるロシア教会、建造物はハルビンの郊外にも昔のままで建っているようです。
また中国へ行きたいと思いませんがハルビンと言う町へは行きたいと感じました。

 20101115~16 哈爾浜
 上海から福建省「福州空港」へ行く飛行機が遅れて17日午前0時頃に今回の旅行に同行してくれた陳君の家に到着。ご迷惑をかけました。
陳君の家は福建省の海口村で300戸くらいの集落の中にあり新築から3年目のおしゃれな家です。マイナス10度の世界からプラス15度の村に移動したということです。
この日は陳家からタクシーで20分程の新築ピカピカの「福清駅」から新幹線に25分くらい(50q)乗って福州市(福建省一番の都市で人口780万)の中心部にある「サンファンチーシャン=三坊七巷」という町を見に行きました。
この町は宋(1400年前)の時代に造られたそうです。
日本の遣唐使、空海もこの地を訪れたと思います。
古い街を本格的に復元している福建省福州市の姿勢にビックリしました。
栄の真ん中あたりに1400年ほどほど前の町が復元されているのです。
瓦一枚もおろそかにせず真面目に復元している現場を見て中国も本気なんですね。
来年は日本のテレビ局のカメラも入るのではと思います。

 20101117 福建省の福州と海口村
 福建省の海口村は案内をしていただいた陳君の実家がある村です。300戸ほどの農家集落です。
近くに働く工場もない農村で若い人は海外や市街地に出稼ぎに出ています。高校生になると村を出て学校の寮へ入るらしいですね。都市部と農村部での格差は日本の比ではないようです。
福建省は奈良時代に遣唐使が多く訪れているそうです。弘法大師が訪れた寺もあります。
億縄との交易も盛んだったようですね。中国の文化は福建省から日本へ渡ったものが多いことが
分かりました。現在、日本の墓石の80%は福建省で作られているようです。
農村、町の周りには小高い山、丘がたくさんあり大きな石が点在しているのが見えました。
500年前に造られた500mの石の橋がこの地域特産の石で作られています。
現在は修復されて文化財と成っています。この橋の近くにはさびれた旧商店街があります。
古くなった家は捨てられて貧しい人が住み着いている家も多いようです。
中国では土地は貸借されているので古くなった家は捨てられているそうです。
  20101118 福建省の海口村