残念ながら予想通り本日は雨、サク村へは行けない。早朝にアンズが傘を持って私を迎えに来た。ずぶ濡れになっていた。
ゲストハウスの朝食は断りランズの家で朝食を食べて待機することにした。

日本で天気予報を見ていたがあたっていた。右はランズの家を間借りしている家族の子供「プラサント」三歳。
私が国際電話で話しているときに声だけは聴いていた。タマン族の子供である。タマンはモンゴロイド系だと思う。
 
   
   
      
 2年ぶりに四女サンズが作ったチャイを飲んだ。彼女が作るチャイは何故かおいしい。 
      
 マンズ、サンズ、アンズ。この後マンズは急いで出かけた。  ベランダに干していた小さな大根もずぶ濡れですね。
      
 この朝食はランズが作ってくれた。とてもおいしいロティ(揚げパン)とスープでした。昼食の材料を準備するサンズ。プラサントも手伝う。 
     
  プラサントは私のさしていた傘を取り上げて「メロ チャタ!!」と叫んで私から取り上げた。プラサンタの母親「サラスワティ」23歳。
この家族は本日行く予定だったサク村からさらに奥にある山岳農村からカトマンズに仕事を求めて来たと言う。生活は大変のようだ。 
      
  昼食は三女のアンズが作ってくれると言った。私は寒くてたまらないので別の部屋でサンズ、プラサントと一緒にベッドに潜り込んでテレビを見ていた。ランズの家は一日中日が当たらない。内装材、断熱材がないため外気温と内気温が同じくらいでとても寒い。
もちろん暖房器具はない。ネパールの人は辛抱して生活している。とてもお金持ちはとか、ホテルは暖房器があります。
私はこの家で冬に三回(4泊)9月に一回(4泊)した。冬は停電が一日12時間から16時間となる。お湯のシャワーは殆ど使えない。 
      
 照明も最小限度の明かりである。私の老眼が進みこの程度の照明で荷物の整理などをしていると疲れが蓄積してくる。 
      
  次女のマンズはネパール伝統舞踊の先生をしている。この日も子供たちの発表会のための衣装を調達するのに飛び回っていた。
その衣装の一部をランズ、アンズ、サンズが作っていた。家にあるいろんなパーツで上手に工夫して作っていた。
この足踏みミシンは何年前のものだろう、停電でも大丈夫ですね。 
      
 アンズが昼食を作ってくれました。雨が小降りになったのでアサンと言う町の化粧品店に出発です。 
      
 アンズの務めている学校を見ました。カトマンズのダーバルスクウェアーに車を置いて  
        
      
この店へ来るのは5回目でオーナーは気のいいインド人です。日本よりかなり安く買えますね。
目当ての化粧品をゲット、演奏、踊りを見て食事ができるレストラン「Utsav ウッサブ」へ移動。
Utsavにランズのダンスメンバーが毎晩のように出演しているので料金は特別割引とのことです。 
      
 
 ダンスショーが始まる前にランズのダンスメンバーに会えました。 ←ロシュナ →サンギータ 
 ★Utsav Authentic Nepali Restaurant での写真←クリック